2015年9月22日火曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『絹と明察』(1):殺人者たち


三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『絹と明察』(1):殺人者たち

この小説の第一行が「昭和二十八年九月一日」といふ日付で始まつてゐることは、三島由紀夫の十代の詩の書き方と名付け方から言つて、この小説が叙事詩であることを示してゐる。或ひは、叙事詩の感覚で、この散文を書いたといふことです。[註1]従ひ、ヘルダーリンといふ三島由紀夫の愛好するドイツの詩人の詩の引用されることに必然的な理由が生まれるのです。

第3章、第8章、第9章を除き、すべての章にヘルダーリンの詩句のことが引用され、言及されてをりますので、これは、詩論として此の作品を見れば、ヘルダーリンといふ三島由紀夫の愛読した詩人の幾つかの詩を縦糸にして構成された散文であり、小説であるといつてもいいのです。第3章「駒沢善次郎の賞罰」には、ヘルダーリンの名前は出てきませんが、アイヒェンドルフといふ、ドイツ文学史では前期ロマン派に分類されてゐる優れた詩人、それもやはり詩を多作し、その意味でも、また再帰的な人間であるといふ意味でも、三島由紀夫の同類である有名な詩人の名前が引用されてをります。

かうしてみますと、作中の其のドイツ語のルビの振り方といひ、三島由紀夫を養つた十代のドイツ的な、またドイツ文学の、教養に立ち戻つて、このハイムケールの時代を始めたといふことができませう。

[註1]

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生:三島由紀夫の人生の見取り図2(詳細な見取り図)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_12.html]で、1938年、13歳の詩『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ、その連の一つ一つに日付の入った日記体の叙事詩(『木葉角鴟』206~214ページ)について、わたしは次のやうに書きました。:

「さて、三島由紀夫の小説が叙事詩だといふことに関する考えは、私の仮の説であり、仮説です。しかし、十代の次の詩が、丁度、叙情詩、叙事詩、そして小説といふ時間の順序で展開していゆく其の中間状態の移行期の姿を示していて、わたしの仮説は、正しいのではないかと思はれます。

この仮説を証明する其の詩は、13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩です(決定版第37巻、206ページ)[註1]

[註1]
桃葉珊瑚(あをき)といふ題の言葉と、この老いの記の内容との関係を稿を改めて明確にすること。この時期、三島由紀夫は桃の詩を幾つも歌つています。桃と桃色の意味を解く事を後日致します。今ここで少しく考察を加えてをけば、次のやうになります。

桃葉珊瑚(あをき)といふ植物は、「葉は厚くつやがある。雌雄異株。春、緑色あるいは褐色の小花をつけ、冬、橙赤(とうせき)色で楕円形の実を結ぶ。庭木とされ、品種も多い。桃葉珊瑚(とうようさんご)。」[『大植物図鑑』>「アオキ Aucuba japonica 桃葉珊瑚(1034)」:https://applelib.wordpress.com/2009/05/09/1034/

この説明をみますと、三島由紀夫は、この当時楕円形といふ形が好きであつたやうに思はれます。何故ならば、この実は楕円形をしてをり、小説『詩を書く少年』の中で、13歳ではなく15歳といふ年齢設定ではあるものの、主人公の製作する詩集は「ノオトの表紙を楕円形に切り抜いて、第一頁のPoesiesといふ字が見えるやうにしてある」表紙を備えてゐるからです。

しかし、いづれにせよ『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ《EPIC POEM》(叙事詩)を読みますと、その主題は、ある老いた人間の死と、その理由の誰にも知られない無償の自己犠牲によつて起こる生命の蘇生といふ主題ですから、この桃葉珊瑚(あをき)に永遠に繰り返され、冬の季節の後に到来する春に再び此の世に現れる強い生命力をみてゐたことは間違いありません。

さうすると、同様に此の時期歌ふことの多かつた桃についても、その形状と色彩と其の色艶に、同様の魅力を覚えたゐたことが判ります。桃を巡る形象は、夏であり、青空であり、泉であり、川の流れであり、その青色を映す湖であり、青色そのものである海であり、これらの歌われる春と夏の季節であり、また夜であり、月であり、月の光であり、黒船であり、とかうなつて来ると季節の秋もあり、夜に響く谺(こだま)といふ繰り返しの声があり、また桃の果樹園であり、桃林なのです。

『奔馬』で、この物語の最後に主人公が死を求めて、夜の海へと駆ける場所は、桃の果樹園ではなく、蜜柑畑といふ果樹園です。最晩年の三島由紀夫が蜜柑といふ果実と其の果樹園といふ場所、それも夜の海を前にした言はば庭園といひ庭といふことのできるやうな場所に何を表したのか。


この小説は、196年、昭和39年、三島由紀夫39歳、ハイムケール(帰郷)する晩年の時代の1年目に書かれた小説です。

このときに、ヘルダーリンを愛し、ハイデッガーに学んだ岡野といふ登場人物を、ハイデッガー哲学の自分独自の解釈による論理を利用して、現実といふものに対して「二重底の哲学」とハイデッガーの哲学をなし、先の戦争中に此の「聖戦哲学」なるもので「人々を瞞着し、甘い汁を吸つた思ひ出」が「その後のどんなに人の悪い行動の思ひ出よりも、彼の中に甘美に澱んでゐ」る贋の哲学者且つ贋の詩人として登場させたことは、興味深い。

何故ならば、戦後に設立した組織の名前が、聖戦哲学研究所といふのであれば、この「二重底の哲学」は其のまま生きてゐるのであり、「断絃の時」などなく、戦前のままの人間として、戦後も生きる覚悟の、そのやうな人物として読者の前に姿を現してゐることになるからです。

この歴史と伝統の連続した意識の体現者である人物は、やはり三島由紀夫の20歳以前の、従ひ一つ目の太陽(敗戦の太陽)を見て、小説家にならうと決心する以前の、従ひ詩人としての三島由紀夫の意識を体現してゐるといふことを考へることができるといふことから云つても、この小説にはヘルダーリンといふドイツの詩人と其の詩句と、さうしてヘルダーリンの詩を論じたハイデッガーといふやはりドイツの哲学者の名前の出てくることは、無理のないことだといふことになりませう。

と、このやうに考へてみると、わたしが最初この小説を読んで、奇妙に感じたことの謎も解けるのです。

それは、駒沢善次郎と石戸弘子を除いては、誰もfull nameでは呼ばれず、下の名前がないといふことです。即ち、岡野、秋山、正木、大槻、村川といつたやうに。

駒沢善次郎の妻房江は、妻でありますから、この女性は敢えてfull nameで呼ばれることはないものの、読者が察すれば、それはfull nameは駒沢房江でありませう。

といふことを考へれば、full nameがきちんと文字で最初から明示されてゐて、そのfull nameを読者が知ることのできるのは、

1。駒沢善次郎
2。石戸弘子

といふ、この二人だけといふことになります。

この小説は、疑似家族としての父と娘の物語なのです。

いや、もう一人、駒沢善次郎の妻房江は、駒沢善次郎の妻ですから、作中で呼ばれるときにはいつも房江とのみあるけれども、読者が頭の中で、房江のfull nameは駒沢房江だと形づくることはできるのだから、房江を入れれば三名ではないかといはれれば、三名といふことになります。

かうして考へると、この小説は、

1。駒沢善次郎
2。駒沢房江
3。石戸弘子

といふ三人の、父と母と娘の疑似家族の物語だといふことになるでせう。

さて、さうだとして、一体他の、謂はば下半身の無い、幽霊の如き男たちのfull namesは何といふのでありませうか。それは、次のやうな名前になる以外にはないのです。

1。岡野由紀夫
2。秋山由紀夫
3。正木由紀夫
4。大槻由紀夫
5。村川由紀夫

といふfull namesです。

この名前の1から3は、先の戦争中には聖戦哲学研究所の所員でありました。従ひ、いづれもが、聖戦といふ戦争を奉ずる人間たちであります。

この男たちはみな、三島由紀夫が十代の詩と小説の中で創造した「殺人者」です。

この晩年の当初に、三島由紀夫は十代に自分で編んだ詩集を読み返したに違ひありません。

この研究所の、嘗てと今の三人の殺人者を一人一人を見てみませう。

1。岡野由紀夫
小説の第三章「駒沢善次郎の賞罰」で、岡野は彦根城の天守閣に登り、従ひ、作者三島由紀夫も、その高みにあつて詩人としてゐることのできる窓(もはや十代で多用した窗(まど)といふ文字[註2]は使はずに、散文的に窓といふ開かれた文字を使ふ三島由紀夫がをりますが、その窓)から犬上平野を眺めて思ふ次の数行があります。

[註2]

詩人としての三島由紀夫にとつて、高いところにある窓がどれほど重要かは、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』に詳述しましたので、これをご覧ください。[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html


窓から開かれる景色を眺めながら、当然のことの順序で、岡野は眺めを追憶し、追想して、次のやうに思ふのです。

「 窓のすぐ下の空を鳶がめぐり、窓框(まどかまち)に光る蜘蛛の巣がきちんとした綻びのない図形を掲げてゐた。その蜘蛛の網(ゐ)までが、追憶の正確な形を保つてゐるやうに思はれたので、岡野はヘルダアリンの「追想(アンデンケン)」の一節を口吟(くちずさ)み、こんな小春日和のなかで、詩が突然、鋭い殺人の道具に変貌するさまを思ひ描いた。」

死が日常にあつた戦時中の現実といふものに対して「二重底の哲学」とハイデッガーの哲学をなした岡野が、この戦後の高度経済成長期に「ヘルダアリンの「追想(アンデンケン)」の一節を口吟(くちずさ)み、こんな小春日和のなかで、詩が突然、鋭い殺人の道具に変貌するさまを思ひ描」くことのできた一節とは、ヘルダーリンの次の一節でありませう。

第二連までの、康で生命力のある自然と日常の生活、町の祭りの日々にゐる日に焼けて、絹の地面にゐる[註3]、春の三月の、健康な女たちを歌つた其の次の、「ヘルダアリアンの頻発する「しかし(アーバー)」」で始まり続く第三連と第四連を。これが、岡野のいふ「こんな小春日和のなかで、詩が突然、鋭い殺人の道具に変貌するさまを思ひ描いた」詩行でありませう。

[註3]
このヘルダーリンの詩の中の「絹の地面」といふ表現を見る限り、この絹の意味は、やはり生命溢れる自然があり、その自然に囲まれて町中に住む健康な日に焼けた成熟した女たちの踏む、春の地面のことです。

それは、勿論工場の製造する製品としては絹糸でありませうが、その底にをいた三島由紀夫の思ひは、ここにあることでありませう。


生命の賛歌ともいふべき前のふたつの連のあとの第三連で、「暗い光に満ちて/誰かが其の香り立つ杯を」くれる其の杯を口にしながら、一人孤独に「魂も無いままに、死のことをあれこれと思ふのは」確かに甘美なことであらうと誘ひながら、第四連で「神聖なる(天使の)翼の生えた戦争」のことを、孤独な人間の、夜の務めとして歌ふのです。:

しかし、渡すがよい
暗い光に満ちて
誰かが其の香り立つ杯を私に
さすれば、私は安らふことができようものを、といふのも、甘いだらうからだ
影たちの下の微睡(まどろ)みは。
良くはない、
魂も無いままに、死のことをあれこれと思ふのは。しかし勿論良いことは
会話であり、そして、真心(まごころ)の意見を云ひ、愛の日々のことを
たくさん聞くことであり、
さうして、起こり行く行為について、たくさん聞くことである。

しかし、どこに友垣はゐるのだ?あのお伴の者がいつも一緒であつた羨ましきベラルミンは?
大勢のものたちは
源泉へと向かひ、それに触れることを厭ふこころを持ち歩いてゐる。といふのも、
つまり、富といふものが始まるのは
海の中でだからだ。あなたは、
画家のやうに、集めるのだ
地上の美を、そして、辱めることはしないのだ
神聖なる(天使の)翼の生えた戦争を、さうして
孤独に住まひするのだ、何年も何年も、
落葉した帆柱の下に、其処では、夜を光で貫き輝かせることはない
町の祝祭の日々が、
そして、琴の弦の演奏も、血沸き肉踊る土地の踊りが、夜を光で貫き輝かせることはない。」


さうして、この二つの連の後に、またしても「ヘルダアリアンの頻発する「しかし(アーバー)」」で始まる最後の第五連がをかれて、次のやうに歌はれてをります。:

「さて、かうして(過去を振り返つて)みれば、しかし、インド人たちのところへと
男たちは行つてしまひ
あそこの、空に接した先端
葡萄の山々に接してゐる其処では、
ドルドーニュの土地が下(くだ)つて来て
さうして、壮麗なるガロンヌ河と
一緒になつて、海の幅のままに
大河は、外へと出て行く。海は、取りもするが、しかし
そして、記憶を与へもし
そして、愛もまた、勤勉に両眼を捉へるのであるが、
変わらずに留まるものを、しかし、建立(こんりゆう)するのは、詩人たちなのである。」

岡野が此の時口にする言葉は、「さて、かうして(過去を振り返つて)みれば、しかし」、外洋へ、未知の海へと出帆しよう、そこには富があり、自己を捨て、海の力に身を任せれば、海は、君から奪ふものは奪ひ、しかし、与へるものを与へてくれるだらう、君は詩人たちの一人なのだから、それこそが本物の詩人なのだから、といふものでありませう。

かうして、死といふものを、若者の眼の前に置いて、若者の孤独と社会に対する恐怖心につけゐり、昼の世界から夜の世界へと招き入れて、その若者の死を実現するといふわけでありませう。

もっとも平易に言へば、この扇動の言葉とは、作中第5章「駒沢善次郎の洋行」で、次に述べる秋山が送つた其の手紙によつて大槻といふ、争議の主導者になる若者に書いた次の一行でありませう。

「自分の不幸は忘れてしまひなさい。大ぜいの人間の幸福が、若い君の双肩にかかつてゐるのです。」

2。秋山由紀夫
秋山という人物は、最初から、次のやうな、三島由紀夫の十代の詩『理髪師』[註4]に歌はれる殺人者の蛇として描かれてをります。

[註4]

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_12.html]から其のまま引用して、以下にお伝えします。

「『理髪師』といふ16歳のときの詩があります(決定版第37巻、685ページ)。

これは題名通りに理髪師を歌つた詩ですが、しかし、それは、理髪師といふ名前の蛇なのです。逆にいひますと、蛇を理髪師に見立てて歌つた詩です。[註4]


[註4]

以下、傍線筆者。

「理髪師

あまりにすべすべな皮膚のうちに白昼(まひる)の風の流れを見、呼
吸は漁(すなど)られた魚のやうにあさましく波打ち、遠く銀白の地
平を摩擦して行く空気の翼に似た音……
壺のなかにひろがる闇のひろさよ、零(こぼ)れ出てくる闇のおび
たゞしさよ。線は線に触れ、髪は夜の目のやうな暗い光に
濡れ……。
《真の幸福は神の餌にすぎない》
人間の幸福は求め得たものゝすべてであり、
(幸福がその日の呼吸なのだ)
と儂は言ふ。虚偽?......神様はよおく御承知だ(唾のなか
に幸福を吐き出し、汚なさうに投げ捨てる)
沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。―――鐘の
うしろに夜が居る……わしは赤インキを顔にぶつかける、
そこで正午(まひる)が呆けた人形のやうにぶら下がる。」
(決定版第37巻、685ページ)

この同じ主題を歌つた『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』と題した詩がある(決定版第37巻、767ページ)。



この理髪師の蛇は、手に其の剃刀を持つて、ありとあらゆるものを道すがら剃刀で切り、刈つてしまふのです。

この詩も論じると尽きませんが、今話を蛇がどのやうなものであるかに留めて論じますと、最初から蛇といふ名前は登場しないのです。それは、理髪師といふ名前の何かの振る舞ひが叙され、読者はこれは何だらうと不思議に思ひならが読み進めますと、次のところに至ります。随分と技巧を凝らした詩だといふことになります。

「沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
 のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
 てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
 だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
 森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」

この引用の最初の「……」までの前半は、上の『三島由紀夫の世界像2』の地上の水盤、地盤であることがお判りでせう。そこは広く、「広いものは」理髪師を「窒息させる」のです。さうして、「……」とは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』でお話しましたやうに、三島由紀夫の意識が現在から見て過去へと追想し追憶することを示しますから、そのときに必ず例外なく三島由紀夫はこの「……」を使用しますから、「……」の後の後半の「理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足をだらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」といふ行がやつて来て、そこで初めて其れ以前の現実が反転して、「……」の後の現実が謂はば本当の、真実の現実になることができるのです。それ故に、理髪師は其の正体を現して、蛇といふ本来の名前で呼ばれ、「蛇は空を自分の毒牙で量」ることができるのです。

或ひは、「……蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。……」とあるやうに、「蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。」は「……」に挟まれてありますので、この蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた」ことが、既に過去への追想追憶であるといふ解釈も可能です。


「蛇は空を自分の毒牙で量」ることのできる以上、この詩では天翔る姿は書かれてをりませんが、いづれは空を飛ぶのでありませう。

しかし、このやうに三島由紀夫の蛇の形象を見てきても、実に残酷な謂はば平然たる殺人者であり、「光りと影に分かたれた人々をば、/蛇は熱帯の岩の上から、/冷たい嘲笑でみつめてゐる。」といふ、そのやうな相反する矛盾と対立の中にゐる人間たちを「冷たい嘲笑でみつめてゐる」ものといふことになります。

上の『三島由紀夫の世界像2』に示される全体は、三島由紀夫の人生でありますから、この蛇は、さうしてこのやうな蛇の詩を読んで参りますと、やはり三島由紀夫自身の姿を歌つたものだと解するのがよいのではないでせうか。或ひはまた、その心象の論理と感情を蛇に形象化したといふことです。

これら14歳と16歳の蛇の詩を比較しますと、二つの詩に差異があり、後者には明らかに、[註3]に書きましたやうに、「十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ消息」、春日井健氏の消息ではなく、三島由紀夫自身の消息が、わたくしたち読者には「手にとるやうにわか」ることに驚きます。

この詩『理髪師』といふ詩は、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に直接つながる詩だといふことが判ります。既に16歳の此の詩を書いたときには、三島由紀夫は「生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ」その決意を固くしてゐたといふことになります。

とすれば、それは既に『花ざかりの森』を書きながら、そのやうな決心があつたといふことを意味してをります。この16歳の短編小説にも、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に登場する恰も海賊頭の口にするが如き言葉が出てきます。

「『海?海つてどんなものなのでせう。わたくし、うまれてよりそのやうなおそろしいものを見たことはありませぬ。』
 『海はただ海だけのことだ、さうではないか。』さう云つて男は笑はつた。」

『花ざかりの森』の主人公は、まだ殺人者にはなつてゐない。しかし、同じ16歳に書いた『理髪師』といふ詩では、三島由紀夫は蛇を歌つて既に殺人者になつてゐる。」



以下、第六章「駒沢善次郎の胸像」より引用します。

「彼は多分、つぎつぎと若者たちの無鉄砲な情熱に点火することで、自分の暗い性格を救つて来たのだ。
 言葉の合間々々に、歯の洞(うろ)に空気を通して、蛇の威嚇のやうな音を立てるのは、秋山の癖だつた。
 「準備は?しー。できたかね。しーっ」
と彼はいきなり問ふた。」

「秋山はかつて聖戦哲学研究所のもつとも過激な所員で、青年たちを死に追ひやることに、しかも一つの狂的な哲学の魅力によつて彼らを死に追ひやることに、人知れぬ喜びを感じてゐた。彼は取り巻きの青年の一人一人に赤紙が来て、やがてのちに彼らの戦死の報が届くと、人前も憚らず大声で哭き、一人一人に百首づつの悼歌(とうか)を作り、しかもそれを一夜で作つた。歌は万葉調の、ほとんど没個性の作品ばかりだつたが、彼の語彙の豊かさはおどろくべきものがあつた。」

一番に「理髪師」そのものの、蛇の殺人者といふべきでありませう。

3。正木由紀夫
この男も、「聖戦哲学研究所の所員だつた男で、あの「ハイデッガーと恍惚」の著者である。」(第五章「駒沢善次郎の洋行」)

として見れば、岡野の好きな同じ哲学者と其の哲学の共有者です。

しかし、岡野が哲学と詩、ハイデッガーとヘルダーリンといふ二つの領域に戦前からゐるのに対して、正木は哲学と神道といふ組み合はせの領域に、やはり戦前から変わらずにゐるといふ対照の相違のある二人といふことになります。

他方、岡野の内心の思ひによれば、共に「世間からおのおの方法で身を隠した二人の男」であるといふ共通点のある嘗ての仲間といふことになります。

聖戦哲学研究所とは、この二人の当時の仲を描いた次の箇所を読むと、やはり、理論か実践かといふことは別にしても、正木といふ人間はやはり殺人者、十代の三島由紀夫が戦時下で生きるために必死に思ひを凝らして創造した殺人者であることが判ります。

「 いろんなどぎつい思ひ出話が、二人の心をやさしくした。戦争中、もしアメリカの一州を占領して、えりすぐりの白人の美女を百人、殺戮することが許されたとき、聖戦哲学をいかに適用するかといふ議論を、二人で戦はせたことがある。殺戮がさはやかなものになるには、何かが要る。思想が一つの胸のときめきと化し、詩が一滴々々の血のしたたりになるやうな、すばらしい味爽の風が吹き寄せて来なければならぬ。……」

この箇所の二人の議論を読むと、聖戦哲学とは、

(1)戦争は殺人のゆるされる場所であること。
(2)この事実を全面的に肯定する哲学であること。その上で、
(3)その殺人は、「さはやかな」ものでなければならないこと。即ち、
(4)一切の道徳や倫理とは全く無関係であること。従ひ、
(5)そこには、罪と罰も存在しないこと。
(6)そのやうな時にこそ、殺人哲学は聖戦哲学となり、「一つの胸のときめきと化し、」
(7)「詩が一滴々々の血のしたたりにな」るやうな「すばらしい味爽の風が吹き寄せて来」ること。従ひ、
(8)殺人哲学とは、「一滴々々の血のしたたりにな」るやうな、その人間の血を贖(あがな)つて得られ、実現されるものであること。

さうして、第8章「駒沢善次郎の憤怒」で、蛇の秋山が、駒沢善次郎の経営理念の一つである「感恩報謝」を巡つて名前を挙げる、当時のナチスの標語(スローガン)「血と名誉(ブルート・ウント・エーレ)」は「いつも不合理」なものであるといふのに対して、岡野が、それは「『女の生み落とせし者』ぢゃない」男、そのやうな此の世に有り得ない男がゐれば、それが我々二人がそれぞれ奉じる哲学、即ち前者にあつてはマルクス主義、後者にあつては自分の聖戦哲学であるといふところを読んで二人が握手を交わすところを読みますと、聖戦哲学とは、更にいへば、

(9)単性生殖の男の思想であつて、『女の生み落とせし者』たる男には自然の死が待つてゐるが、この思想を堅持する男に自然の死は訪れず、「同一原理の繰り返しと、自己同化と自己拡張だけが主題となり、面白いことは何もなく」、「他者が出現しなければ、自己は永遠の微睡(まどろみ)の中にある。」(田中美代子著『天使の幾何学』の跋文)といふ通りの思想であり、

また従ひ、このことから云つても、この小説の最後の章、第10章の其の最後に岡野が思ふやうに、

(10)「この世界には、帆影もなければ、何らかの憧れもなく、……自分が征服したものに忽ち擦り抜けられる無気味な円滑さしかない」と考えるといふこと。

また、戦後の時代との関係で一層この時代を岡野の此の聖戦哲学から見れば、この哲学の戦後といふ時間の中で前提にしてゐる考へは、戦前の常住坐臥死のあつたといふ時代とは異なり、

(11)この時代は、「いつはりのよみがへりの時代」であるといふ認識に基づく思想である。この戦後の時代に蘇るものは皆偽りの贋物であるといふ認識に基づく思想であるといふこと。

更にもう一つ、言葉との関係で付け加はえれば、同じ第10章にある、岡野が石戸弘子の駒沢善次郎へ持参する御見舞いのお花についての言葉ん嘘を見抜いて、石戸弘子が逃げるやるやうにして別れたときの菊乃のいふ言葉が契機となつて、岡野の「心も解け、心の動きが自在になつた」といふことが切掛けで岡野の思ふ「これで世界は、再び彼が命ずるやうにがままの形をとつたのだ。」とある行を読めば、聖戦哲学とは、

(12)人の感情から自然に生まれる善意の嘘と矛盾を、それが意識的なものであれ無意識的なものであれ、偽善と考へ、これを言葉にすることによって、その矛盾と相反を論理的に露はにし、このことを感情よりも優先させること。矛盾を矛盾のままに論理で表すこと、その解決が上記(1)から(12)の聖戦哲学であること。

といふ、このやうな12の特徴を持つ思想であるといへませう。

さて、以上が殺人者の集団である聖戦哲学研究所の構成員であつた男たちの素性です。

では、大槻といふ、秋山に扇動されて動く此の若者へと話を移す前に、最後にもう一度、岡野に話を戻して、この聖戦哲学の持ち主が、ハイデッガーの哲学を一体どのやうに理解をしてゐるのかを見てみませう。

岡野は、聖戦哲学研究所といふ名前からしても、これは文字通りに聖戦なのであつて、その聖戦の哲学のためには、人を殺すことも辞さないといふ研究所の殺人者として登場してゐることは、上の通りでした。

さて、他方、そのやうな殺人者が、この地上の地盤、水盤で一体何を見てゐるのかといへば、それは既に、三島由紀夫十代の詩『』にある、時差の遍在なのです。まづ、その詩を再掲し、次に岡野のハイデッガー解釈をみることに致します。

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く12:イカロス感覚3:縁(ふち)と生まれた時の記憶:三島由紀夫の世界像』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html]から、その[註5]を引用して、お伝へします。

「[註5]



三島由紀夫の15歳の『一週間詩集』に『故苑』と題した、上の世界像の図の下方の平面に時間(時差)の遍在を歌ふ詩があります。それは、次のやうな詩です(決定版第37巻、534~546ページ)。傍線筆者。:


「故苑

わたしの心のなかで
風景は顔をそむけてゐた

山脈(やまなみ)をこえ
呆(ぼ)けた煙が見え隠れする
薄野(すすきの)の峠を下りた
山の間の村には
昼すぎまでも夜明けの光が漾(ただよ)うてゐた。
花櫚(くわりん)のみのる庭つゞき、
よごれた枳殻(からたち)......

空の色は萱屋根(かややね)にむなしくにじみ……
空の色は寒々といぢけてゐた。

わたし自身をさがしに来たのに
それすら故里にはゐないらしい。
どこにもゐるのは時間だが……

干われた柱にかゝつて
振子の硝子(がらす)が燻(いぶ)されて
錆び真鍮の刻むまゝに
よどんだ時がながれてゐる。

たんぽゝの絮(わた)を吹きながら
子供たちが野原からかへつてくる季節に
もういちどわたしは故里を訪づれてみようと思ふ。」



この故苑の世界は、上の図の、下にある産湯を使つた木製の盥の水盤の、繰り返しのある時差の存在する平面の世界のことを歌つてゐるのです。

「わたしの心のなかで/風景は顔をそむけてゐた」のは、この話者が既に時間の存在しない高みに、即ち上の交差点の小さな空間に浮遊してゐるからであり、従ひ、ダリの十字架を語る後年の三島由紀夫の言葉、即ち「下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる。」と評言するのと同じやうに、「山の間の村には/昼すぎまでも夜明けの光が漾(ただよ)うてゐた」のです。この場合、「遠い地平線」を「山脈(やまなみ)」が形作つてゐます。

第4連で「どこにもゐるのは時間だが……」とあるやうに、この地には、時間(時差)はどこにもある。しかし、「……」の意味するところに従つて、そこから過去を追想し追憶してみても、この故苑では、季節は薄野の秋であるので、あの素晴らしい夏の青空の青はもはや無く、「空の色は萱屋根(かややね)にむなしくにじみ……」、時間を快活明快に刻む筈の柱時計は「よどんだ時」を刻んでゐる。「たんぽゝの絮(わた)を吹きながら/子供たちが野原からかへつてくる季節」とは、秋のあとの冬を越えた、新しい歳の始まる春か初夏に至る季節でありませう。」



さて、今度は、岡野のハイデッガー解釈をみて見ませう。

第3章「駒沢善次郎の賞罰」に、聖戦哲学研究所員であつた正木の著作『ハイデッガーの恍惚』を読んで、次のやうな感想を抱きます。勿論、この時の思念は、「 」にではなく、『 』に囲はれて書かれてゐるのです。何故ならば、再度『三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_86.html]より引用しますと、この『 』は、次のやうな意味を、三島由紀夫は割り当ててゐるからです。

1。会話であること。
2。親しい者との会話の中の言葉であること。そして、それは、
3。一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想であること。
4。それは、さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命であること。
5。その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変であるといふこと。
6。人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉であること
7。やはり何か静かな思ひが歌はれてゐる。
8。その主人公が、過去の真実を再度追体験し、同じ筋道を、誰かの追想と追憶の中で、辿るといふこと。


「『ハイデッガーの脱自(エクスターゼ)の目標は』と彼は考へ続けた。
 『決して天や永遠ではなくて、時間の地平線(ホリツォント)だつた。それはヘルダアリンの憧憬であり、いつまでも際限のない地平線へのあこがれだつた。俺はかういふものへ向つて、人間どもを鼓舞するのが好きだ。不満な人間の尻を引つぱたいて、地平線の向つて走らせるのが好きだ。あとから俺はゆつくり収穫する。それが哲学の利得なのだ。』」

この科白は、会話、しかも「脱自」を説く此のハイデッガーの愛読者らしく、自己との会話となつてゐます。自己といふ一番親しい者との対話。「一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想」。その憧憬と夢想は、「さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命である」。「その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変である」。その美の名前の在る「いつまでも際限のない地平線」へのあこがれは、「人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉である」。

さうして、このやうに思ひながら眺める車窓には、その地平線は現はれない。何故なら、この車窓の窓は、15歳の詩『凶ごと』[註5]に歌つた窓ではないから。三島由紀夫が詩人としてゐられる部屋の高みの窓は、地上では空間的に動いてはいけないのでありませう。それは、上に引用したやうに「時間の地平線(ホリツォント)」になければならないのでせう。しかもまた、それ故に、上の独白の段落の次には、

「 岡野は旅には妻子や子女を連れ歩いたことはない。それでは物事が、「たまたま」にならないからだ。いかにも恰好な時恰好な場所に、精妙に居合わせるには、一人でなければならない。」

と続けて書かれるのです。

「凶ごと」は、必然的に起こるのではなく、「たまたま」自分の意図とは無関係に、偶然に起こらねばならない。そのやうに生活を工夫しなければならないのです。そのやうな凶ごとは、塔の高みの窗(まど)から眺めなければやつて来ない。必然に対する三島由紀夫の此の偶然に関する考察は、稿を改めて論じます。

[註5]

傍線筆者。


「凶ごと

わたしは夕な夕な
窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた、
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに町並みの
むかうからおしよせてくるのを。

枯れ木かれ木の
海綿めいた
乾きの間(あひ)には
薔薇輝石色に
夕空がうかんできた……

濃(のう)沃度丁幾(ヨードチンキ)を混ぜたる、
夕焼の凶ごとの色みれば
わが胸は支那繻子(じゅす)の扉を閉ざし
空には悲惨きはまる
黒奴たちあらはれきて
夜もすがら争ひ合ひ
星の血を滴らしつゝ
夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。

わたしは凶ごとを待つてゐる
吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額は黒く
わが血はどす赤く凍結した……。

(『Bad Poems』、決定版第37巻、400~401ページ)」


上記傍線のところについては、論ずべきことが幾つもありますので、これは稿を別に改めます。

この『凶ごと』と同じ主題の詩を含む詩に、次のやうな詩があります。

1。『枯樹群』(決定版第37巻、368ページ)
2。『鎔鉱炉』(決定版第37巻、396ページ)
3。『古代の盗掘』(決定版第37巻、720ページ)



また、このことで判ることは、岡野は「妻子」がありながらも、実際の心理では全くの独身者であること、上に列挙した聖戦哲学の(9)にあるやうに「単性生殖の男」であるといふことです。

このやうに考へて来ると、聖戦哲学研究所の所員はみな、岡野であらうと、妻のゐる正木であらうと、そのまま独身者であるといふことになります。秋山然り。

しかし、思ひを巡らせば、駒沢善次郎然りではないでせうか。妻の房江とは一年に一度しか会ふことのない夫婦であり、また其の長男は死んでしまつてゐる。この考察はまた後述します。

さて、眺める車窓には、その地平線は現はれない。しかし、誠に興味深いことに、岡野が此処でも風情を覚えるのは、車窓から離れて列車を降りて見る、「たとへば草津駅構内の、大阪鉄道管理局草津材修場などといふ、三角屋根を連ねた建物のはうが、その古びた木造の壁の色や、赤錆びた屋根の色で岡野の心を魅した」といふのです。

1940年、15歳の小説『彩絵硝子』の冒頭に、読者は同じ好みの感覚を見るでせう。

「 化粧品売場では粧つた女のやうな香水壜がならんでゐた。」

勿論、こればかりではなく、至るところに、この三島由紀夫の時差に対する鋭敏な感覚を見ることができます。上の冒頭の一行が少しも空間的な壜と壜との差異になつてゐないのは、この一行に続けて、作者が次のやうに続けることによつて、空間的な繰り返しの差異をまでも時間的な動きの差異と其の繰り返しに変形するからです。それ程に、この時差と時差の繰り返しへの意志は強いのです。上に引用した「脱自(エクスターゼ)の目標」は、「時間の地平線(ホリツォント)だつた。それはヘルダアリンの憧憬であり、いつまでも際限のない地平線へのあこがれだつた。」といふ岡野のハイデッガー解釈を思ひ出して下さい。

さうして、上で『故苑』を引用してお伝へしましたやうに、この地平には、その縁(ふち)に至るまで、「どこにもゐるのは時間」なのであり、これが何故岡野がハイデッガー解釈で、普通には地平線は空間的なものであるものを「時間の地平線」と呼ぶかの理由なのです。

「人の手が近よつてもそれはそ知らぬ顔をしてゐた。彼にはそれが冷たい女たちのやうにみえた。範囲と限界のなかの液体はすきとほつた石にてゐた。壜を振ると眠つた女の目のやうな泡がわきあがるが、すぐ沈黙即ち石にかへつて了ふ。」

三島由紀夫の隠喩(metaphor)は、やはりかうして見ても、時差の創造、たとへそれが空間的な詩であらうとも、時差に変形させずんばやまずといふ強烈な意志によつて生まれることが、この冒頭でよく判ります。

この強い時間の差異に対する執着と、空間的な差異(隙間)を厭ひ嫌ふ感情のよく判る詩[註6]に、15歳のときに書いた詩『石切場』があります(決定版第37巻、566~567ページ)。これについても、稿を改めて論じます。

[註6]

この『石切場』の他に、やはり同じ感情の判る詩に次の詩があります。備忘と整理のために『石切場』も入れて書きあげます。

1。『石切場』(決定版第37巻、566~567ページ)
2。『訃音』(決定版第37巻、378ページ)
1。『春から……』(決定版第37巻、386ページ)



(続く)

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