2013年9月28日土曜日

Marlboro is Red Red is Marlboro(マルボロは赤い、赤いはマルボロ):第40週 by Volker Braun(1939 - )




Marlboro is Red Red is Marlboro(マルボロは赤い、赤いはマルボロ):第40週 by Volker Braun(1939 -  )




【原文】

Marlboro is Red Red is Marlboro

Nun schlafen, ruhen … Und liegst laechelnd wach.
Das ist mein Leib nur, der noch unterwegs ist
Auf irgendwelchen Strassen, ah wohin.
Das Unbekannte wolltest du umfangen.
Jetzt kenn ich alles das. Es ist die Wüste.
Die Wüste, sagst du. Oder sag ich Wohlstand.
Geniesse, atme, iss. Oeffne die Haende.
Nie wieder leb ich zu auf eine Wende.



【散文訳】

マルボロは赤い 赤いはマルボロ

さてこうして、眠ること、憩うこと…そして、お前は笑いながら目覚めたまま横になっている。
まだ途上であるのは、ただただ俺の体だけだ
どこかの通りを通って、ああ、どこへ行くんだ。
見知らぬ物を、お前は捕まえようとした。
今は、俺はこういった事の総てを知っている。荒野なんだ。
荒野だ、とお前はいう。又は俺は、福祉だと言う。
味わえ、息をしろ、食え。両手を開け。
俺は二度と廻転(方向転換)に合わせて生きることはしないぞ。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


当時の東ドイツの詩人です。

また、マルボロは、勿論、あの煙草のマルボロです。



赤い色の包装の意匠ですから、これは共産党を批判したのではないかと考えます。

マルボロは赤い煙草である。そして、吸えば、煙りとなって無くなる。それが、共産党である。

共産党独裁下の東ドイツのファシズムによる恐怖政治の中で書かれた詩です。




【西東詩集50】 フェルデゥーシが話をする




【西東詩集50】 フェルデゥーシが話をする


【原文】

FERDUSI spricht

》"O Welt! wie schamlos und boshaft du bist!
Du nährst und erziehest und tötest zugleicht.《

Nur wer von Allah begünstiget ist,
Der nährt sich, erzieht sich, lebendig und reich.

         *

Was heisst denn Reichtum? Eine wärmende Sonne,
Geniesst sie der Bettler, wie wir sie geniessen!
Es möge doch keinen der Reichen verdriessen
Des Bettlers, im Eigensinn, selige Wonne.


【散文訳】

フェルデゥーシが話をする

「ああ、世界よ!お前は何と恥知らずで、悪意のある奴なんだ!
お前は、養い、教育し、そして同時に殺すのだ。」

アラーによって恵みをうけた者のみが
自らを養い、自らを教育する、生き生きと、そして豊かに。

             *

一体豊かさ(冨)とは何だ?それは、暖める太陽、
乞食はそれを享受する、わたしたtが享受するのと同じように!
どうか富者(ふうしゃ)の誰をも不愉快にすることのありませんように
乞食の、我がままなこころの中の(頑固な)、その神聖なる太陽が。



【解釈】

Wikpediaによれば、

フェルドウスィーは、サーマーン朝およびガズナ朝時代に活躍したペルシャ詩人である。イランのホラーサーン中部トゥースの地主階層の出身で、12世紀初期の『4つの講話』の作者ニザーミー・アルーズィーによれば、トゥース近郊のタバラーン地区のバージュという村で生まれたという。

生年月日: 西暦940年
生まれ: イラン トゥース
死没: 1020年, イラン トゥース

とあります。



英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdowsi

この詩は、ふたつの部分からなっていますが、いづれもこの詩人の言葉と解してよいでしょう。

冨とは、乞食の太陽。その暖かさを味わい、享受することが、富者の能力ということになります。




【Eichendorfの詩 44】Schlimme Wahl (悪い選択)


【Eichendorfの詩 44】Schlimme Wahl (悪い選択) 

【原文】

Schlimme Wahl

Du sahst die Fei ihr goldnes Harr sich strählen,
Wenn morgens frueh noch alle Waelder schweigen,
Gar viele da im Felsengrund sich versteigen,
Und weiss doch keiner, wen sie wird erwählen.

Von einer andern Dam hört ich erzählen
Im platten Land, die Bauern rings dir zeigen
Ihr Schloss, Park, Weiler ― alles ist dein eigen,
Freist du das Weib ― wer mochte im Wald sich quälen!

Sie werden dich auf einen Phaeton heben,
Das Hochzeitskarmen toent, es blinkt die Flasche,
Weitrauschend hinterdrein viel vornehm Wesen.

Doch streift beim Zug dich aus dem Walde eben
Der Feie Blick, und brennt dich nicht zu Asche:
Fahr wohl, bist nimmer ein Poet gewesen!


【散文訳】

悪い選択

お前は運命の女神が金色の髪を梳(くしけず)るのを見た
朝早くに、まだ、総ての森々が沈黙しているならば
更に数多くの妖精が、あの巌の谷底で姿を見せているのだ
そして、勿論、誰も、女神達が誰を選び出すのかを知らないのだ。

ある別の黄鹿について、わたしは語るのを聞いた
低地の国で、周囲の農民達が、お前に示しているのは
農民達の城、公園、村落 ― 総てはお前のものだ、と。
その女(黄鹿)を自由にしてれやれ ― 誰が森の中で苦しみたいものか!

農民達は、お前をフェートン(太陽神)に捧げ掲げることだろう
結婚式の詩歌が鳴り響き、壜が光り
遥かにさやぐ音を立てて、その後ろには、数多くの高貴な生き物達がいる。

しかし、一刷毛(はけ)でお前を森の外へと容易に連れ出すのは、まさしく
その運命の女神の眼差しであり、それはお前を燃やして灰にすることはない、つまり
行くがいい、もはや一人の詩人もいなくなる所まで!


【解釈と鑑賞】

第1連第1行目の運命の女神を、第2連では、農民達に捉えられた黄鹿(別の女神)に譬えています。



この鹿は、Wikipediaによれば、ドイツ民族の狩猟の対象になり、その歴史の古い動物です。


この詩の第2連によれば、森の中に住み、そこに生きることが自由である動物として歌われています。どんなに農民達の財産をもらっても、それに引き換えることはできないのです。

第3連を読むと、その鹿を神に捧げています。これも、やはり狩猟の形象(イメージ)があるのでしょう。

そうして表立って文字にはなっておりませんが、そのように犠牲になり、生け贄になる鹿と詩人の姿が重ねられております。ここに、詩人のこころが解ります。それは、祝祭の場所に列席する、多くの高貴な生き物達のための犠牲なのです。

それ故の第4連、最後の連では、運命の女神ー黄鹿ー詩人がひとつになっているように読むことができます。

最後の一行は、その詩人の覚悟を示したものでしょう。

実に味わいの深い詩です。今まで読んだ詩の中で最高傑作の作品の一つだと思います。それは、単に自然の中を旅するという詩人や歌手の姿だけを歌うのではなく(この歌だけでも相当に深い歌ですけれども)、このように形象を幾重にも重ねて、そのこころを深く表しているというところが素晴らしいと思います。

第1連で、運命の女神たちの選ぶのは、勿論、第3連で犠牲になる覚悟のある詩人だということになります。

第4連で、その詩人は灰にはならないということは、永遠の生命が宿っているということです。

そして、最後の一行がある。

さて、そうしてみると、この詩の題名、悪い選択というのはどういう意味でしょうか。

運命の女神に選ばれたということは、運の悪いことだったという意味と、それから、それは自分で選択することのできない、やはり運命なのだという意味が、あることになります。

こうして読み込むと、第2連の最後の一行、鹿を森の中へ放してやれ、森の中でこそ鹿は自由で苦しむことがないという一行の意味が、一層深まります。





2013年9月21日土曜日

【西東詩集49】 Hoechst Gunst(最高の恵み)



【西東詩集49】 Hoechst Gunst(最高の恵み)


【原文】

Hoechste Gunst

Ungezähmt so wie ich war
Hab' ich einen Herrn gefunden,
Und gezähmt nach manchem Jahr
Eine Herrin auch gefunden.
Da sie Prüfung nicht gespart
Haben sie mich treu gefunden,
Und mit Sorgfalt mich bewahrt
Als den Schatz den sie gefunden.
Niemand diente zweien Herrn
Der dabei sein Glück gefunden;
Herr und Herrin sehn es gern
Dass sie beide mich gefunden,
Und mir leuchtet Glück und Stern
Da ich beide Sie gefunden.


【散文訳】

最高の恵み

わたしが無教養、不躾な人間であったころ
一人のお方を見つけ
そして、多年を経て、礼儀も弁(わきま)えたころ
今度は、一人の女主人を見つけた。
二人は試験を惜しまなかったので
わたしが忠実な人間であると知り
そして、慎重にわたしを護った
二人が見つけた宝として
誰もふたりの主(あるじ)に仕えなかった
そこで自分の幸福を見つけなかった者は。
二人の主人は、共にわたしを見つけたことを
喜んでいる
そして、わたしには、幸福と星が輝いている
わたしが、二人を見つけたからだ。


【解釈】

全く二人の主人の名前も書いていないので、この二人も無名であるほどに、それほどに、ゲーテにとっては大切な二人であったのでしょう。

このような深いこころを、わたしたちは古典のあちこちに見ることができます。いや、古人の言葉のというべきでしょうか。

わたしが今同類の例で思い出すのは、道元禅師が宋に渡って、寧波(にんぽう)の港に着いたとき、ある寺の典座(てんぞ)ー料理長ーが日本の椎茸を買いに来て、道元が一晩あなたと仏道について語りたいといったところ、笑って、このわたしの仕事のひとつひとつが仏道だと答えたこの僧の名前を、道元は後日その寺を尋ねているのでその典座に会ったことと思われますが、書き残していないことです。

Der Vogel(鳥):第40週 by Meret Oppenheim(1913 - 1985)


Der Vogel(鳥):第40週 by Meret Oppenheim(1913 - 1985)




【原文】

Der Vogel platzt geräuschlos und aus seinem Bauch steigt
Ein Springbrunnen braungoldener Federn
Die Pilze lösen sich vom Boden und schweben
Von der warmen Luft getragen
Bis an die Wolken
In den Wolken lachen die Hexen
Mit ihren Fasanenaugen
Mit ihren Pfauenwimpern
Mit ihren weissen Haaren
Mit ihren steinernen Brüsten.


【散文訳】

鳥が音も無く破裂し、そしてその腹の中から登って来るのは
茶金色の羽毛の噴水だ

茸が地面からほどけて、そして浮かんでいる
温かい空気に運ばれて
雲雲の所にまで達する
雲の中では、魔女達が笑い声を立てている
その雉の眼で
その孔雀の睫毛で
その石の胸で


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


スイスの詩人です。

メレット・オッペンハイム は、スイスの女性芸術家、画家、写真家。シュルレアリスムやダダに参加した女性アーティストとして知られと、この日本語のWikipediaにあります。

また、英語のWikipediaです。


ここには、この芸術家の有名な作品、『毛皮の朝食』(1936年)の写真があります。この作品は、ニューヨーク近代美術館に収蔵されているとのこと。

この詩は、シュールレアリスムの詩なのでしょう。しかし、そんな文学史上の分類は別にして、いい詩だと思います。

やはり、シュールレアリスムの特徴であり、本質である、無時間、時間が無いということが実現されています。

そうして、奇想天外、この世のものではないもののことが歌われている。

また、この詩人の業績を顕彰し、世界に広めるためのウエッブサイトがあります。artsy.netです。以下のURLへ。この詩人の絵画作品を見ることができます。

https://www.artsy.net/artist/meret-oppenheim/works

【Eichendorfの詩 43】Saengerleben (歌人の人生)


【Eichendorfの詩 43】Saengerleben (歌人の人生) 

【原文】

Saengerleben

Singen kann ich nicht wie du
Und wie ich nicht der und jener,
Kannst du's besser, sing frisch zu!
Andre singen wieder schoener,
Droben an dem Himmelstor
Wird's ein wunderbarer Chor.


【散文訳】

歌人(うたびと)の人生

わたしはお前のように歌うことができないよ
そして、わたしは名のあるこの歌手やあの歌手ではないので
お前はもっと上手に歌うことができる。新鮮に歌ってくれ!
他の人々は、再びもっと美しく歌っているよ
あの上、天の門のところで
それは、素晴らしい合唱になっているよ。


【解釈と鑑賞】

この詩の話者が歌人というのではなく、歌人を歌った詩ということになるでしょう。

美しく歌うことのできない話者が、美しく歌うことのできる歌人のことを歌っている。


2013年9月14日土曜日

Brennesselbusch(刺草の茂み):第39週 by Guenter Eich(1907 - 1972)


Brennesselbusch(刺草の茂み):第39週 by Guenter Eich(1907 -  1972)




【原文】

Brennesselbusch.
Die gebrannten Kinder
warten hinter den Kellerfenstern.
Die Eltern sind fortgegangen,
sagten, sie kämen bald.

Erst kam der Wolf,
der die Semmeln brachte,
die Hyäne borgte sich den Spaten aus,
der Skorpion das Fernsehprogramm.

Ohne Flammen
brennt draussen der Brennesselbusch.
Lange
bleiben die Eltern aus.


【散文訳】

刺草(いらくさ)の茂み

刺草の茂みがある。
やけどをした子供達が
地下室の窓の後ろで待っている
両親は行ってしまった
直に戻って来るよと言ったまま。

やっと、狼が来た
狼はゼメルン(上等の小麦のパン)を持って来た
ハイエナは、鋤を借りた
蠍(さそり)は、テレビの番組表を借りた。

炎を上げることなく
外では、刺草の茂みが燃えている
長い事
両親は不在のままである。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


ドイツの詩人です。

この詩は、何かドイツ民族の俗話か民話か、或いは何かのことわざを下敷きにして出来ている詩なのではないでしょうか。

第1連と第2連は、そのようなことを思わせます。

そうして、今流にパロディーを使って修正をした。テレビの番組表というように。

やけどした子供達という子供達が何を意味しているのか、それともこれは誤訳なのか、ご存知の方はお教え下さい。

この詩は、brennen、焼くというドイツ語の動詞の連鎖と連想で出来ています。

まづ、刺草の茂みがある。刺草はドイツ語では、Brenneselと言って、Brenn、焼くという言葉が入っています。

次に、子供達が、焼かれている。

この焼くということと、ふた親が不在であるということが、何か土俗的な、古俗な、民族の深層心理を思わせるのです。



【西東詩集48】 Schach Sedschan und Seinesgleichen



【西東詩集48】 Schach Sedschan und Seinesgleichen


【原文】

Durch allen Schall und Klang
Der Transoxanen
Erkühnt sich unser Sang
Auf deine Bahnen!
Uns ist für gar nichts bang,
In dir lebendig,
Dein Leben daure lang,
Dein Reich beständig!




【散文訳】

セデゥシャン王とその同族(臣下達)

すべての響きと音を通じて
トランソクサーネンの人々を
わたしたちの歌は大胆にも歌うのだ
お前の道を祝して!

わたしたちには、何も恐れるものはない
お前の中に生き生きと
お前の命が長久に続くからだ
お前の帝国よ恒久なれ!



【解釈】

Transoxianaという名前は古代のアラビアとペルシャ辺り、中近東の一部をいう名前です。次のWikipeidaをご覧下さい。地図が載っています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Transoxiana

この地に住むひとたちを何故ゲーテは歌ったのか。

この詩は、セデゥシャン王という王様とその一族や臣下を言祝ぐ歌です。

わたしの手にしている西東詩集の註釈によれば、この王様は、モザッファー家出身のペルシャの支配者で、1384年没。学問と芸術の庇護者であり、ハーフィスのパトロンでもあった。ファーフィスがこの王様のことを多々歌っているのだそうです。

政治的権力と詩人の関係は、古今東西見事な均衡の上に成立しています。丁度、ふたつの者は互いに表裏の関係にあります。

ゲーテは、政治家でもありましたから、この均衡については充分すぎる位、よく知っていたのです。

その上で、この単純素朴な詩を書いたゲーテのこころを思うことに致しましょう。




【Eichendorfの詩 42】Letzte Heimkehr (最後の帰郷)


【Eichendorfの詩 42】Letzte Heimkehr (最後の帰郷) 

【原文】

Letzte Heimkehr

Der Wintermorgen glaenzt so klar,
Ein Wandrer kommt von ferne,
Ihn schuettelt Frost, es starrt sein Haar,
Ihm log die schoene Ferne,
Nun endlich will er rasten hier,
Er klopft an seines Vaters Tuer.

Doch tot sind, die sonst aufgetan,
Verwandelt Hof und Habe,
Und fremde Leute sehn ihn an,
Als kaem er aus dem Grabe;
Ihn schauert tief im Herzensgrund,
Ins Feld eilt er zur selben Stund.

Da sang kein Voeglein weit und breit,
Er lehnt' an einem Baume,
Der schöne Garten lag verschneit,
Es war ihm wie im Träume,
Und wie die Morgenglocke klingt,
Im stillen Feld er niedersinkt.

Und als er aufsteht vom Gebet,
Nicht weiss, wohin sich wenden,
Ein schöner Juengling bei ihm steht,
Fasst mild ihn bei den Haenden:
》Komm mit, sollst ruhn nach kurzem Gang.《―
Er folgt, ihn rührt der Stimme Klänge.

Nun durch die Bergeeinsamkeit
Sie wie zum Himmel steigen,
Kein Glockenklang mehr recht so weit,
Sie sehn im oeden Schweigen
Die Länder hinter sich verblühen,
Schon Sterne durch die Wipfel gluehn.

Der Fuehrer jetzt die Fackel sacht
Erhebt und schweigend schreitet,
Bei ihrem Schein die stille Nacht
Gleichwie ein Dom sich weitet,
Wo unsichtbare Hände baun―
Den Wandrer fasst ein heimlich Graun.

Er sprach: 》Was bringt der Wind herauf
So fremden Laut getragen,
Als hört ich ferner Ströme Lauf,
Dazwischen Glocken schlagen?《
》Das ist des Nachtgesanges Wehn,
Sie loben Gott in stillen Hoehn.《

Der Wandrer drauf:》Ich kann nicht mehr―
Ist's Morgen, der so blendet?
Was leuchten dort für Länder her?《
Sein Freund die Fackel wendet:
》Nun ruh zume letzten Male aus,
Wenn du erwachst, sind wir zu Haus.《


【散文訳】

最後の帰郷

冬の朝はかくも清澄に輝いている
一人の旅人が遠くからやって来る
霜が彼の体をゆすり、その髪は凝固している
美しい距離が彼に嘘をついたのだ
さて、ついに、ここで休みたいと思い
父の扉を叩く。

しかし、以前扉を開けてくれた者達は亡くなり
屋敷も財産も変わっている
そして、見知らぬ人々が旅人を見る
恰も墓の中から来たかのように
彼はこころの奥底で震撼する
直ちに、急いで郊外へ、野原へと向かう。

そこでは、見渡す限り、どんな鳥も歌っていなかった
旅人は一本の樹木に寄りかかった
美しい庭に雪が積もっていた
夢の中でのように思われた
そして、朝の鐘が鳴り響いたので
静かな野原で、旅人は膝まづいた。

そして、祈りから立ち上がるとき
どこへ向かうかはわからない
一人の美しい若者がそばに立っていて
旅人の手を優しく掴んで、こういった。
》一緒に来なさい、一寸行って、休むことにしましょう《
旅人は従う、声の響きが旅人を動かしているのだ。

さて、山々の孤独を通り
ふたりは、天へと向かうかのように、山を登る
鐘の響きも、もはや、これだけ来れば、ここまでは届かない
ふたりは、荒涼とした沈黙の中で
国々が背後で凋(しぼ)んで行くのを見る
既に星々が山頂を通って輝いている。

若者は、今や松明(たいまつ)を穏やかに
掲げ、そして沈黙して行進している
ふたりの影のあるところ、静かな夜が
丁度大伽藍のように拡がっている
そこは、目に見えない両手が築く場所
旅人を、密やかな恐怖が捉える。

若者は言った。》風は何をこの高みまで運んで来るのだろうか
かくも見知らぬ音を運んで来るとは
恰も遠い河の流れの音を聞いているかの如くだ
その音の中には、鐘の音が本当に混じっているのだろうか?《
》これは、夜の歌う風の流れだ
この鐘の音は、静かな高みで神を褒め称えているのだ。《

旅人は、続けてこう言った。》わたしはもはや判らない―
朝なのだろうか、こんなにまぶしいからには?
どんな国々が、あそこからこちらに向かって光を投げているのだろうか?
若者は松明を向けてこう言った:
》さて、最後の休息をとろう
お前が目覚めているならば、わたしたちは家に着いたのだ。《


【解釈と鑑賞】

これも、アイヒェンドルフらしい、不思議の詩です。

この現実をこのまま味わうのが良いと思います。

舞台は古典的ですが、しかし、全くsurrealsticな世界です。

特に、最後の一行が効いています。

2013年9月8日日曜日

Raetsel(謎々):第38週 by Sor Juana Ines de la Cruz(1651 - 1695)


Raetsel(謎々):第38週 by Sor Juana Ines de la Cruz(1651 -  1695)





【原文】

Wer ist die grausame Sirene,
die in schmeichelnd-suessen Toenen
lockt mit Versprechen von Bestaendigkeit,
in ihrer Brust jedoch verbirgt Vergänglichkeit?


【散文訳】

おぞましいサイレン(美声の海の精)とは誰か
へつらいながらの、甘い調子で
変わらないよと約束を以て、誘惑するもの
その胸の中で、しかし、諸行無常を隠す者は?


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


17世紀のスペインの詩人です。

この謎々の答えは何でしょうか?

【西東詩集47-13】 無題13


【西東詩集47-13】 無題13


【原文】

WER befehlen wird loben
Und er wird auch wieder schelten,
Und das muss dir, treuer Diener,
Eines wie das andre gelten.

Denn er lobt wohl das Geringe,
Schilt auch, wo er sollte loben,
Aber bleibst du guter Dinge
Wird er dich zuletzt erproben.

Und so haltets auch ihr Hohen
Gegen Gott wie der Geringe,
Tut und leidet, wie sich's findet,
Bleibt nur immer guter Dinge.



【散文訳】

命令する者は、必ず褒めるものだ。
そして、命令者は、また再び叱るのだ。
そして、これは、お前にとっては、忠実な召使いよ
それも、これも、正しいのだ。

何故ならば、命令者は確かに軽輩を褒め
また、褒めるべきところで、叱るからだ
しかし、お前は、いつも上機嫌であれ
命令者は最後にはお前を試験するのだから。

そして、このように、お前達、身分の高いものたちは
神にも、軽輩者のように、相対するのだ
行い、そして苦しむがよい、当然のことのままに
ただただ、いつも上機嫌であり続けよ。


【解釈】

軽輩、軽輩者と訳した言葉が、この詩の主役です。

命令者と服従者の関係を、この詩は箴言詩として歌っています。

服従者の心得は、いつの時代も、このようなものでしょう。

しかし、そのような社会であるかを、いつも信じることは難しいものがあります。

それを敢えて、この年齢で歌うゲーテのこころを思うべきでしょう。



【Eichendorfの詩 42】Der irre Spielmann (狂った吟遊楽人)


【Eichendorfの詩 42】Der irre Spielmann (狂った吟遊楽人) 

【原文】

Der irre Spielmann

Aus stiller Kindheit unschuldiger Hut
Trieb mich der tolle, frevelnde Mut.
Seit ich da draussen so frei nun bin,
Find ich nicht wieder nach Hause mich hin.

Durchs Leben jag ich manch truegrisch Bild,
Wer ist der Jaeger da? wer ist das Wild?
Es pfeift der Wind mir schneidend durchs Haar,
Ach Welt, wie bist du so kalt und klar!

Du frommes Kindlein im stillen Haus,
Schau nicht so lüstern zum Fenster hinaus!
Frag mich nicht, Kindlein, woher und wohin?
Weiss ich doch selber nicht, wo ich bin!

Von Sünde und Reue zerrissen die Brust,
Wie rasend in verzweifelter Lust,
Brech ich im Fluge mir Blumen zum Strauss,
Wird doch kein fröhlicher Kranz daraus!―

Ich moecht in den tiefsten Wald wohl hinein,
Recht aus der Brust den Jammer zu schrein,
Ich moechte reiten ans Ende der Welt,
Wo der Mond und die Sonne hinuterfaellt.

Wo schwindelnd beginnt die Ewigkeit,
Wie ein Meer, so erschrecklich still und weit,
Da sinken all Stroem und Segel hinein,
Da wird es wohl endlich auch ruhig sein.


【散文訳】

狂った吟遊楽人

静かな子供時代の罪の無い保護の中から
わたしを、狂気の、悪事を犯す気持ちが、追い出した。
わたしが外に出て、今こうして、かくも自由である以上
わたしは再び家には帰ることはない。

人生を通じて、わたしは幾多の欺瞞の像の狩りをする。
そこにいる狩人は誰だ?その野獣は誰だ?
風が、わたしの髪の毛の中を通り、我が身を切って、鳴る。
ああ、世界よ、お前は何と冷たく、そして澄んでいるのか!

お前、静かな家の中にいる敬虔な子供よ、
そんなに熱望して窓から外を眺めるな!
子供よ、どこから、そしてどこへ?と訊かないでくれ。
わたしがどこにいるのか、わたし自身も知らないのだ!

罪と後悔から、胸が張り裂ける
絶望した陽気なこころの中で荒れ狂うかのように
わたしは、一気に、わたしの花を折って花束にする
しかし、陽気な冠がそれからは生まれない!

わたしは最も深い森の中へと確かに入って行きたい
まさしく胸の中から、嘆きを叫ぶために
わたしは、世界の涯まで騎乗して駈けて行きたい
そこでは、月と太陽が下に落ちるのだ。

目眩がして、永遠が始まるところで
海のように、そのように驚く程静かに、そして広く
そこで、すべての海流と帆船が沈み行き
そこで、ついに、間違いなく、また静かになるのだ。


【解釈と鑑賞】

狂った吟遊楽人とは、この詩の話者でありませう。

そのような狂った音楽家が(この場合は、詩人が)、子供の時代を思い出し、今の自分の境涯を思って、比較をし、それぞれの時代の思いを、歌っています。

そして、大人である楽人の深い思いは、最後の2連にあるのでせう。

2013年9月7日土曜日

Das Maedchen von Vermeer(フェルメールの娘):第37週 by Adam Zagajewski(1945 - )



Das Maedchen von Vermeer(フェルメールの娘):第37週 by Adam Zagajewski(1945 -   )



【原文】

Das Mädchen von Vermeer, jetzt beruehmt,
sieht mich an. Eine Perle sieht mich an.
Das Mädchen von Vermeer hat einen roten
Mund, feucht und glaenzend.

Maedchen von Vermeer, du Perle,
du blauer Turban: du bist Licht,
und ich bin aus Schatten gemacht.
Das Licht sieht den Schatten an, erhaben,
reumütig, etwas neidisch.


【散文訳】

フェルメールの娘は、今や有名になって
わたしを見ている。ひとつの真珠がわたしを見ている。
フェルメールの娘は、赤い唇をしている、湿って、そして、つやつやしている。

フェルメールの娘、お前、真珠よ
お前、青いターバンよ:お前は光だ
そして、わたしは影の中からつくられたのだ。
光は影を見ている、厳かに
後悔の情を以て、少し羨望の念を以て。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


ポーランドの詩人です。

また、この詩の歌っているフェルメールの絵は、この絵でしょう。




この絵画に関するWikipediaです。


このような、何か静物を見て歌う詩というものも、よいものです。


【西東詩集47-13】 無題13




【西東詩集47-13】 無題13


【原文】

FREIGEBIGER wird betrogen,
Geizhafter ausgesogen,
Verstaendiger irrgeleitet,
Vernuenftiger leer geweitet,
Der Harte wird umgangen,
Der Simpel wird gefangen.
Beherrsche diese Lüge,
Betrogener betruege!



【散文訳】

気前のいい奴は、騙され
吝嗇漢は、しゃぶり尽くされ
理解ある者は、誤った道に導かれ
理性ある者は、虚しく世間に利用され
堅き者は、忌避されて
単純な者は、捕われる
これらの嘘を支配せよ
騙された者よ、騙すのだ!



【解釈】

最初の6行は、世間での俗説を列挙したのでしょう。

しかし、ゲーテはそう考えてはいない。

それが、最後の2行のこころです。

日本人にも充分に通じる洞察詩です。



【Eichendorfの詩 41】Zur Hochzeit (結婚式にて)


【Eichendorfの詩 41】Zur Hochzeit (結婚式にて) 

【原文】

Zur Hochzeit

Was das für ein Gezwitscher ist!
Durchs Blau die Schwalben zucken
Und schrein: 》Sie haben sich geküsst!《
Vom Baum Rotkehlchen gucken.

Der Storch stolziert von Bein zu Bein;
》Da muss ich fischen gehen―《
Der Abend wie im Traum darein
Schaut von den stillen Hoehen.

Und wie im Träume von den Hoehen
Seh ich nachts meiner Liebsten Haus,
Die Wolken darüber gehen
Und löschen die Sterne aus.


【散文訳】

結婚式にて

なんという鳥の囀(さえず)りだ!
青色を通り抜けて、燕が飛んでいる
そして、叫んでいる:》あなたたちは互いに口づけを交わした!《
木から、喉の赤い可愛い鳥が覗いている。

コウノ鳥が脚を粛々と動かして自慢げに歩いている
》さあ、魚をとりにいかねばならぬ―《
夕べが、夕べの中にある夢の中にいる様に
静かな高みから見ている。

そして、高みの夢の中でのように
わたしは、毎夜、わたしの愛する人の家を見る
雲はその家の上を行き
そして、星々を掻き消してしまう。


【解釈と鑑賞】

結婚式の詩であるのに、結婚式の様子を全く歌っていません。

そうではなく、(結婚式が教会堂で行われるとしたならば)、その式場の外で起きていることを歌っています。これが、不思議なことです。

とはいへ、きっと燕もコウノ鳥も、結婚式を祝っているのでしょう。

しかし、結婚式を祝うにせよ、コウノ鳥が、さてこれから魚を採りに行こうと言うのは、これも不思議です。結婚式に魚を供するのでしょうか。日本なら有り得ますが、これはそうではないのでしょう。

何か、この個所も非常にシュールレアリスティックな感じのする個所です。勿論、詩の全体の雰囲気もそうなのですが。つまり、この世の現実ではない世界だということです。

わたしは、この詩人のこのようなところに強く惹かれているのでしょう。

また、「夕べが、夕べの中にある夢の中にいる様に/静かな高みから見ている。」と訳したところは、夕べが主語で、高みから眺めているのです。

そしてこの「夕べの中にある夢の中にいる様に」という個所は、こう解する以外にはなく、何か夕べというものと夢とが入れ籠で互いにreferenceし合っている不思議な関係になっています。

最後の連は、わたしの愛する人がこの結婚式に臨んでいるのならば、やはり結婚はできずに、外から離れて、その愛する人の家(別の男性と一緒に暮らしている)を思いやるということになるでしょう。

これが、いつものアイヒェンドルフの恋の歌です。