2016年6月12日日曜日

第24週:Auf einen chinesischen Theewurzellöwen(支那のお茶の木の根っこのライオンに乾杯)by Bertolt Brecht(1898- 1956)


第24週:Auf einen chinesischen Theewurzellöwen(支那のお茶の木の根っこのライオンに乾杯)by  Bertolt Brecht(1898- 1956)






【原文】

Die Schlechten fürchten deine Klaue
Die Guten freuen sich deiner Grazie.
Derlei
Hörte ich gern
Von meinem Vers.


【散文訳】

悪い奴らは、お前の爪を恐れ
善い奴らは、お前の優美な姿に喜ぶ。
そんなこんなを
俺は喜んで聞いたもんだ、つまり
俺の詩のことさ。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツの詩人です。有名な戯曲家です。

日本語のWikiです:

ブリタニカにもBrechtがありました:

自分の詩書いた詩をライオンに喩えてゐます。

この通りの詩です。

余談ですが、最近好きになつてよく聴くジャズの曲に、Mac the Knifeといふ名曲があります。これは、ブレヒトが書いた、これも有名な戯曲『三文オペラ』の作中歌であることを知りました。そこで、YouTubeへ行つて、ドイツ語の女性歌手がキャバレーと思しき舞台で歌ふのを聴きましたが、これが誠に陰々滅々たる歌ひ方であり、陰気な歌となつてゐるのに驚きました。

これに対して、アメリカ人が歌ふと、Macといふ人殺しの歌であるのに、誠に陽気で明るく、Jazzになつてゐます。最初に此の曲を世界的にヒットさせたのは、イギリス人のBobby Darinです。1950年代後半のヒットです。今でもイギリスの舞台で歌つてゐて、やはり齢を重ねて成熟するといふ事は、歌が渋いものになり、味のあるものになつてゐて、いいものです。紹介するのは、しかし、まだ若い、その頃のボビー・ダーリンの映像です。当時のスタジオでの舞台装置もまた懐かしいものがあります:






2016年6月6日月曜日

第23週:Ortsamt(役場)by Hubert Fichte(1935- 1986)

第23週:Ortsamt(役場)by  Hubert Fichte(1935- 1986)







【原文】

Die Sonne war rot.
Der Himmel war schwarz.
Aus den Wolken fielen schwarze und weiße Haare.

An der Reineclaude hing ein Rhesusäffchen.
In den Erdbeeren sass ein Puma.
Am grünen Heinrich hing eine Klapperschlange.

Die Kirschen hingen auf dem Dach.
Die Dachziegeln lagen in den Hortensien.
Die Hortensienknospen lagen unten im Krater.

Die Riesenspinne und die Alligatoren entkamen.
Alle Löwen konnten nicht erschossen werden.
Alle Zebras entkamen.

Die Zebras galoppierten am Ortsamt vorbei.


【散文訳】

太陽が赤かつた。
天は黒かつた。
雲からは、黒と白の髪の毛が落ちて来た。

レーヌ・クロードプラ(西洋スモモ)には、小さな赤毛猿が掛かつてゐた
オランダ苺の中には、一匹の豹が座つてゐた。
緑のハインリッヒには、ガラガラ蛇が掛かつてゐた。

桜の木が、屋根に掛かつてゐた。
屋根瓦が、紫陽花(あじさい)の中にあつた。
紫陽花の蕾(つぼみ)は、噴火口の中にあつた。

巨大な蜘蛛とアメリカ鰐が逃れて来た。
すべてのライオンが、射殺されることができるとは限らない。
すべての縞馬が逃れて来た。

縞馬たちが、役場を諾足(ギャロップ)で通り過ぎた。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツの詩人です。

ドイツ語のWikiです:

レーヌ・クロードプラという西洋スモモの一種は、このような果実です。



緑のハインリッヒは、同じドイツの19世紀の小説家の書いた長編小説の題名でもあり、主人公の名前でもありますが、この原文の書き方かた言つて、特別に此の主人公をいふのではなく、もっと世に流布した緑のハインリッヒ像といふ意味ですが、さて、それがどのやうな人物像をいふものか、私は未読で、不明です。

次の写真は、この詩人のお墓ですが、古代ギリシャの哲学者エンペドクレスの言葉を引用した其の墓碑銘を読みますと、上の詩も理解されるのではないでせうか。




Grabstein von Hubert Fichte.
Die Inschrift lautet:
„Denn ich war schon einmal ein Junge und ein Mädchen und ein Busch und ein Vogel und ein aus dem Meer springender wandernder Fisch.“
Empedokles (DK 31 B 117 = Diogenes Laertios 8,77, Übersetzung nach Kirk, Raven, Schofield, Hülser).

といふのは、私は既に一度は若者であり、乙女であり、灌木であり、鳥であり、海から飛び出して放浪する魚であつた”

エンペドクレス

6. JUNI:Der Schläfer im Tal(谷で眠る者)by Arthur Rimbaud


6. JUNI:Der Schläfer im Tal(谷で眠る者)by Arthur Rimbaud  






【原文】

Ein grüner Winkel den ein Bach befeuchtet
Der toll das Gras mit Silberflecken säumt
Wohin vom stolzen Berg die Sonne leuchtet―
Ein kleiner Wasserfall von Strahlen schäumt.

Ein Kriegsmann jung barhaupt mit offnem Munde
Den Nacken badend in dem blauen Kraut
Schläft unter freiem Himmel, bleich, am Grunde
Gestreckt, im grünen Bett vom Licht betaut.

Ein Strauch deckt seine Füße. Wie ein Kind
Lächelnd das krank ist hält er seinen Schlummer.
Natur umhüll ihn warm! es friert ihn noch.

Ihm zuckt die Nase nicht vom duftigen Wind.
Er schläft im Sonnenschein, die Hand auf stummer
Brust―auf der rechten ist ein rotes Loch.


【散文訳】

緑なす角、小川が湿らせてゐる
その角が、凶暴に草に銀の斑点をつけることを躊躇(ため)らつてゐる
誇り高き山から、太陽が照らす其の方角へと
光線の小さな瀧が、泡立つてゐる。

戦士が、若い、丸坊主で、開いた口をして
襟首を青い雑草の中で水浴びさせながら
広い天空の下で眠つてゐる、蒼白に、谷底に
手脚を伸ばして、青々とした寝床に、光の露に濡れながら。

灌木が、その足を覆つてゐる。子供のやうに
微笑みながら、病気の子供のやうに、戦士は、自分の微睡(まどみ)を微睡んでゐる。
自然が、戦士を暖かく包んでゐるのだ!まだ寒さに震えてゐるのだからと。

戦士の鼻は、香り高い風ではピクリともしない。
戦士は、太陽の輝きの中に眠つてゐて、手を無言の
胸の上に置いて―右の手には、赤い穴がある。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、いふまでもなく名高い、フランスの詩人です。

日本語のWikipediaです:

英語のWikipediaです:

フランス語のWikipediaです:

最後の連の最後の一行にある赤い穴は、血の色の銃槍でありませう

この戦士は、谷底に死して横たはつてゐる。

この最後の一行の意味を知つてから、逆行して最初の連の最初の一行へと戻つて行くと、この詩の深みと美しさが、よく判るやうに思ひます。



2016年6月5日日曜日

5. JUNI:世界環境の日の詩:Erde ungewohnt(地球には人の住める事あらず)by Ernst Jandl

5. JUNI:世界環境の日の詩:Erde ungewohnt(地球には人の住んだ事あらず):第3週 by Ernst Jandl(1925~2000)  



【原文】

jupiter unbewohnt
merkur unbewohnt
saturn unbewohnt
uranus unbewohnt
Neptun unbewohnt
venus unbewohnt
pluto unbewohnt
mars unbewohnt
erde ungewohnt


【散文訳】

木星には人住まず
水星には人住まず
土星には人住まず
天王星には人住まず
海王星には人住まず
金星には人住まず
冥王星には人住まず
火星には人住まず
地球には人の住める事あらず


【解釈と鑑賞】

この詩人は、オーストリアの詩人です。


Wiki曰く、エルンスト・ヤンドルは、オーストリアの前衛詩人。ウィーンに生まれる。18歳で従軍しアメリカ軍の捕虜を経験、終戦後はウィーン大学でドイツ文学と英文学を学び、ドイツ文学の博士を取得した。高校教師をしながら1952年より詩の発表をはじめ、1956年に最初の詩集『別の目』を刊行。

朗読と、またその詩も絵画的なものがあり、その一つを示します。これは、ドイツ語のlustig、ルスティッヒ、陽気な(または陽気に)で三角形を構成した詩です。

また、今回ご紹介した此の詩も、詩人本人は、次のやうに書いてをります。この詩人の言語感覚、文字感覚、表現感覚が判ります。
YouTubeに、この詩人による詩の朗読を視聴する事ができます。



2016年6月3日金曜日

03. JUNI:ヨーロッパ自転車の日の詩:Radlers Seligkeit(自転車走者の至福)by Richard Dehmel

03. JUNI:ヨーロッパ自転車の日の詩:Radlers Seligkeit(自転車走者の至福)by  Richard Dehmel



【原文】

Wer niemals fühlte per Pedal,
dem ist die Welt ein Jammertal!
Ich radle, radle, radle.

Wie herrlich lang war die Chaussee!
Gleich kommt das achte Feld voll Klee.

Herrgott, wie groß ist die Natur!
Noch siebzehn Kilometer nur.
Ich radle, radle, radle.

Einst suchte man im Pilgerkleid
den Weg zur ewigen Seligkeit.
Ich radle, radle, radle.

So kann man einfach an den Zehn
den Fortschritt des Jahrhunderts sehn.
Ich radle, radle, radle.

Noch Joethe machte das zu Fuss,
und Schiller ritt den Pegasus.
Ich radle!


【散文訳】

ペダルを踏んでは、誰も感じたことはないだらう!
世界が、嘆きの谷だなんて!
わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ。

何とまあ素晴らしいのだ、この国道の並木道は!
直ぐに、クローバーで一杯の8番目の野原だ。
わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ。

主なる神よ、何と自然は大きいのだらう!
まだたつた17キロ走っただけだ。
わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ。

嘗(かつ)ては、巡礼服を着て
永遠の至福への道を求めたものだ。
わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ。

かうして、10といふ数字のところで簡単に
世紀の進歩を見ることができるといふ訳だ。
わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ。

まだ、ゲーテも足で歩いて、
そして、シラーはペガサスに乗つてゐた。
わたしは、自転車を漕いでゐるのだ!



【解釈と鑑賞】

ドイツの詩人です。自転車を漕ぐことの喜び(歓びといふ文字を選ぶべきかも知れません)を歌つた詩です。発明されて、広く販売されるようになつた当時、自転車がどのやうに受け止められたかの、よく伝はつて来る詩でもあります。

日本語のWikiです:

ドイツ語のWikiです:

この詩人は、リューベックといふバルト海に面したハンザ同盟の中心都市であつた町から詩の投稿をしたトーマス・マンを発見した詩人です。マンの十代の書簡集の最初の方に、マンが詩を書いた後に、どこかの雑誌に投稿した短編小説『転落』を賞賛してくれたことへの、デーメル宛のお礼の手紙が収録されてをります。1894年11月9日付の手紙です。発信地はミュンヘンのランベルク通り2番地とありますので、小説家としてのマンは、この時既に故郷を離れてゐたことがわかります。

以下に日本語のWikiを引きますが、これを読みますと、何故トーマス・マンがベルリンに出てから保険会社に勤めたのか、おそらくはリヒャルト・デーメルに紹介されたのでせう。マンがベルリンに出て保険会社の口をどうやつて見つけたのか、取り合わせに飛躍がありますので、長年不思議に思つてゐたのでした。一つの解を得たやうに思ひます。

ドイツ語のWikiを見ますと、以下のやうにあります。これを読みますと、この詩人の職を報じた団体はは、Verband der Privaten Deutschen Versicherungsgesellschaften in Berlinとありますから、ベルリンにある保険会社の協会であり、その秘書または秘書役を務めたといふ事ですから、若き20歳そこそこのマンにどこかの保険会社に口利きする事は、十分にできた事だと思ひます。この詩人の学位論文が、保険経済論だといふのが、面白い。日本語のWikiには、この辺りの記述はありません。これは、貴重な発見でした。以下ドイツ語のWikiから。下線部が以上に相当の箇所です。

Nach dem Abitur in Danzig 1882 studierte er in Berlin Naturwissenschaften, Nationalökonomie und Philosophie und beendete sein Studium mit der Promotion in Leipzig 1887 zu einem Thema aus der Versicherungswirtschaft. Während des Studiums wurde er Mitglied der Burschenschaft Hevellia Berlin.[2] Danach arbeitete er als Sekretär im Verband der Privaten Deutschen Versicherungsgesellschaften in Berlin und verkehrte im Umkreis des Berliner Naturalismus.

さて、日本語のWikiは短いものなので、その記述を全文引用しますと、次のような詩人です。火災保険の職に就き」といふところが、ドイツ語版と比較をすると曖昧であるやうに思ひます。

リヒャルト・フェードル・レオポルト・デーメル(Richard Fedor Leopold Dehmel、1863年11月18日 - 1920年2月8日)は、ドイツの詩人。

プロイセン、ブランデンブルク州ダーメ=シュプレーヴァルト郡の小村に山林監視人を父として生まれる。教師と対立してギムナジウムを放校されたのち、ベルリンとライプツィヒの大学で自然科学、経済学、文学などを学ぶ。その後火災保険の職に就き、仕事の傍らで1891年に処女詩集『救済』を刊行、これをきっかけにリーリエンクローンとの交際が始まる。1895年より文筆専業となり、1896年に代表的な詩集『女と世界』を刊行。1901年よりハンブルク郊外のブランケネーゼに永住した。1914年から16年まで自ら志願して第一次世界大戦に従軍している。終戦後の1920年に戦争時の傷の後遺症が元で死去。

その詩は自然主義的・社会的な傾向を持ちつつ、精神的・形而上学的なエロスによる救済願望に特徴付けられている。童話、劇作などもあり、晩年は第一次世界大戦の従軍記録も残した。

彼の詩には、リヒャルト・シュトラウス、マックス・レーガー、アレクサンドル・ツェムリンスキー、アルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、クルト・ヴァイルなど多くの作曲家が曲を付けた。また、彼の詩を元にしたシェーンベルクの弦楽六重奏曲『浄められた夜』は特に有名。

この日本語のWikiに相応しい写真を二葉掲載して、感想を続けます。



                   第一次世界大戦出征時のデーメル



                      デーメルのデスマスク

第1連の「嘆きの谷」は、新約聖書の「詩編」84編 「マルコによる福音書」15章15節~32節の題名「嘆きの谷を通るとき」に語られてゐる谷のことです。

第2連の「第8番目の野原」は、チェスの盤面の縁(へり)にある、双方にとつての一番奥の院、即ち王と女王のゐる第8番目の最後の一列をいひます。英語でいふならば、the eighth fieldのfield、ドイツ語のFeldを、このやうに縁にあるといふ意味を掛けて、あるいはまたドイツ語の日常会話では普通にさういふのかも知れませんが、つまり例へば私たちが得意な藝を18番といふやうに、そのやうに使つてゐるのです。

つまり、自転車は町を遠く出て、そのやうな郊外の野原を、町の領地の縁を快適に走ることができるといふのでせう。

第5連の「10といふ数字のところで」とある意味は、その次の行に世紀といふ言葉が出て参りますから、1世紀100年を区切る、10年ごとの単位だと理解をすることにします。

最後の連の最初の一行で、ゲーテ、GoetheがJoetheとなつてゐるのは、まさか誤植でなければ原文の通りで、きつとベルリン訛りの表記に違ひありません。ベルリンか、あるいは低地ドイツでは、ganz gut!をjanz jut!と発音してをりましたから。

わたしは、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐ、自転車を漕ぐのだ」といふ各連最後の一行が、誠に爽快で、自転車を漕ぐことによる疾走感と自由を感じさせます。











2016年6月1日水曜日

1. JUNI:世界子供の日の詩:An Das Baby(赤ちゃんに寄せる歌)by Kurt Tucholsky

1. JUNI:世界子供の日の詩:An Das Baby(赤ちゃんに寄せる歌)by  Kurt Tucholsky



【原文】

Alle stehen um dich herum:
Fotograph und Mutti
und ein Kasten, schwarz und stumm,
Felix, Tante Putti…
     Sie wackeln mit dem Schlüsselbund
     fröhlich quietscht ein Gummihund.
     》Baby, lach mal!《ruft Mama.
    》Guck《, ruft Tante, 》eiala!《
Aber du, mein kleiner Mann,
siehst dir die Gesellschaft an…
Na, und dann ―― was meinst?
                                       Weinste.

Später stehn um dich herum
Vaterland und Fahnen;
Kirche, Ministerium,
Welsche und Germanen.
   Jeder stiert nur unverwandt
   auf das eigne kleine Land.
   Jeder kräht auf seinem Mist,
   weiss genau, was Wahrheit ist.
   Aber du, mein guter Mann,
   siehst dir die Gesellschaft an…
    Na, und dann —— was machnte?
                                                      Lachste.


【散文訳】


皆がお前の周りにゐる、即ち
写真、そしてママ
そして、箱、黒い、そして黙ってゐる箱
黒猫のフェリックス、そして、プッティおばさん…
   みんな、鍵束と一緒にゆらゆら揺れてゐる
   陽気に、ゴム製の犬がきいきい鳴いてゐる。
”赤ちゃん、笑つてご覧!”とママが叫ぶ。
”ほら見てご覧”と、おばさんがいふ、”おねんねしてるは!”
しかし、お前、私の小さな男よ、
社会を見てご覧…
さて、どうだい、となると、何を思ふ?
              お前は泣いたのだ。

後になつて大きくなると、お前の周りにゐるのは
祖国と旗だ、
教会と内閣だ、
ウエールズ人とゲルマン人たちだ。
誰もが、血のつながりのない人間として無関係にのみ
固有の小さな国をぼんやりと眺めてゐる。
誰もが、糞尿の上で(鶏のやうな)金切り声を上げ、
何が真理であるかを正確に知つてゐるのだ。
 しかし、お前、私の善き男よ、
 社会を見てご覧…
 さて、どうだい、となると、お前は何をしたのだ?
                   お前は笑つたのだ。

【解釈と鑑賞】

ドイツの詩人です。

ドイツ語のWikiです:

黒猫のフェリックス、そして、プッティおばさんといふのは、子供達の人形の類ではないかと思ひます。後者は日本の国には知られてをりませんが、前者は次のやうな、私たちにもおなじみの、俗にいふキャラクターです。





みんな、鍵束と一緒にゆらゆら揺れてゐる」といふ一行が、どうも私にはその情景が目に浮かびません。鍵束を掛ける、釘の歌れた板か何かが壁にあつて、そこにこれらの人形が、鍵束と一緒にぶらぶらとぶら下がって揺れてゐるという光景ではないかと思ひます。

この赤ん坊は男なのでしょう。さうして、大きくなると、いづれ詩に歌はれてゐるやうな物事に、人間たちに、出くはすことになる。社会にでくはす。

さて、お前はもう既に赤ん坊の時に、それらを見て、かつは泣き、かつは笑つてゐたのだといふ詩です。